英語では deep circulation あるいは abyssal circulation といいます. abyssal は「深海の」「深淵の」という形容詞です.
海でもっとも深い場所は, グアムの近くのマリアナ海溝にあるチャレンジャー海淵 10,920m (理科年表2002年版) です. どの深さから下を「深い」とするかはいろいろな判断がありますが, ふたつに分けるとすれば, 海洋物理学では「水温躍層」から下を深層と呼び, その上は表層と呼びます. 海の流れは, 海面を吹く風が作る「風成循環」と, 海面での冷却による「熱塩循環」がありますが, 表層では風成循環が重要であり, 深層では熱塩循環が重要となります. 水温躍層は風成循環の下限になります. その深さは場所で異なりますが, 500〜1000m付近です.
熱塩循環は, 極域の海面において海水が冷却されることでおきます. 冷やされた海水は重くなり, もっとも重い水が海底にまで沈み込みます. そして, 海底に沿って水平に広がります. 海面では, 沈み込んだ水を補うように水が集まり (海底とは逆向きの流れになる), 結局, 沈んだ水はいずれ上昇し, 海面に戻るような循環になります. これは, 部屋のストーブで温められた空気が上昇し, 対流を起こすことと同じ (上下が逆さまですが) です. 海底上を重い水が極域から世界中に広がるような流れが形成され, これが深層循環です. ただし, 地球が丸いことや大陸・海洋の配置など, さまざまな要因のため, 単純ではありません.
現在, もっとも多くの水が沈み込む場所は, 北大西洋北部のグリーンランド周辺と, 南極ウェッデル海です. グリーンランド沖で沈んだ水は, 南に広がり, 大西洋の西側に強い流れを作ります. 南極環海でグリーンランド冲とウェッデル海での深層水は合流し, 東向きに南極を周回します. ぐるぐると回りつづけますが, そのうちの一部がインド洋や南太平洋の深層に流入して西側を北上し, 南太平洋からは北太平洋に流入します.
一方, 深層での循環を補うため, それぞれの大洋では深層から表層への弱い上昇流 (「湧昇」という) があり, 表層を沈降域に戻っていきます. 太平洋とインド洋は表層ではインドネシア多島海でもつながっているため, 一部の水はここを通ることができます. 太平洋からインド洋に入り, さらにアフリカ南端の喜望峰を迂回して南太平洋に流入する西向きの表層循環は warm-water route と呼ばれます. 一方, 深層流と同じ向きに, 南極環海を東に流れる表層循環は cold-water route と呼ばれます.
ここで示した流れはブロッカーの 「コンベヤ・ベルト」として知られているものと似ています. しかし, それは深層循環を記述することを目的としたものではなく, 彼の氷河期の終焉に関する主張に必要な流れのみを記した概念図に過ぎません. 深層循環の現状に近づけるため, 後生のひとが勝手に(?)矢印を加えていたりもしますが, それでも「ブロッカー」のモデルなのでしょうか? 彼のオリジナルでは, 南極海を周回する流れはありませんし, ウェッデル海での沈降もありません. 表層にも一連の流れ (warm-water route) が描かれていますが, 表層循環を示すために「コンベヤ・ベルト」は使われません. なぜなら, 黒潮などの流れはなく, 明らかに不十分な図だからです. しかし, それは深層循環にも不十分なのです. それにもかかわらず, 多くのひとが「コンベヤ・ベルト」を使うのは不思議きわまりありません.